借金整理をしても、自分で子育てすることができない人もいるのでしょうね。借金整理をしたら頑張って働いてくださいね。
失われてしまったのは何?「こうのとりのゆりかご」の次に確実にくるものは。
2007年05月04日16時56分
【PJ 2007年05月04日】- いよいよ熊本で「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)の運用が5月10日から始まる。既に慈恵病院へは県内外より30件以上の問い合わせがあり、その多さに驚いているという。実態はここまで来ているのだ。問題はどこにあるのだろうか。
「貧乏(びんぼう)」という言葉がかつてはあった。最近は余り聞くこともない。その「貧乏」がつく言葉やことわざを上げてみると、「貧乏暇なし」「貧乏神」「貧乏籤」「貧乏性」「貧乏人の子沢山」「貧乏揺すり」などがある。
「貧乏」とは「貧しい」ことである。財産・金銭・物が乏しくて、生活が苦しいことだ。しかし、今の世の中は、すべてが金銭優先である。金銭が無いのならば、いくらでも貸してくれる。自転車操業的に借金のやりくりをし、最終的にいきづまれば自己破産をする。多重債務者である。これはお金を貸す業者が、人間の弱いところを巧妙に利用して、借金をさせるようにして追い詰めてゆくのだ。一生をかけて借金の返済をするのである。例えば60回の返済は5年間である。利息を含めての返済は楽ではなく、5年間は長い。
物質的に恵まれた現在の生活の中では、多くを望まなければそれなりの生活ができるのだ。人の常としてそれなり以上の生活を望むのは当然であろう。そこに無理が出てくる。それが「貧乏神」なのだ。「貧乏暇なし」で働いていれば、何とかなることなのだが、「貧乏性」の性格では、「貧乏籤」を引くばかりで、少しも貧乏からの脱出はできない。「貧乏人の子沢山」でますます生活できない。シャボン玉のように「間引き」をする訳にもいかない。
実は、子沢山ではなく、一人の子どもでさえ養えないのが現実かも知れない。「こうのとりのゆりかご」の潜在的利用者は多く存在するのである。理由は「貧乏」だけではない。できちゃったのを困ってという事も多いだろう。本当は、こちらの方が多いのかも知れない。
物事はすべて損得勘定、損することは絶対にしない。悲しいことだが、これが現実である。誰もリスクを背負おうとしない。損するかしないかを見極めることを中心に考えるのである。子育てのリスクは、高いのだ。子どもの手が離れるまでは、親は自分の思い通りのことはできない。結果として、損をしてしまう。この子さえいなければの発想にもなるのであろう。
何が正しく、何が間違っていると決めることはできないが、「得することが正しく、損することは間違っている。」という思いで判断されることの方が多いのだ。正しいことでも、自分に関係なく、損をしそうならば、知らないふりが一番なのだ。社会全体が、そのような構造になってしまっている。
色々な問題が発生している。それらは、バラバラで個別の現象ではあるが、根本では繋がっているように思えて仕方がない。人の心が、余りにも貧しくなりすぎたこと、最も大切な「やさしさ」を失ってしまったこと、お金よりも本当に大切なものがあることを考えなくてはならないのだ。
そうでないと、「こうのとりのゆりかご」の次は、まちがいなく「うばすてやま」になってしまうのではないかと、私は懸念してしまう。子どもは未来があり、可能性がある。老人には、それはない。ただ財産があるかも知れない。それを狙う善人ぶった犯罪が増えつつある。だが、財産もない老人は、現在の年金制度や福祉の世界では、徐々に棄てられるしかなくなるのだ。既にその兆候は現れている。【了】
引用元:ライブドア・ニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/3146321/
借金整理
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